2005-12-09 イチローぱちり
_ 「共に生きる」10
目の手術を受けたり、身体いたる所怪我をしていた箇所も10月末ごろにはなおりました。 失明した事は一生なおることはありませんが、10月31日に退院の日が決まり、11月1日家に帰ってきました。永年住み慣れた家です。目が見えない事 たいへんな事だなとつくずく思いながらの 新たな人生です。 トラブルもたくさんおきました。
視覚障害者になってやっと病院から家にかえれた うれしさ。子供たちに心配をたくさんかけましたが、 これでやっと一緒に暮らせる喜びが、 私は 子供たちや家族を目で見る事もできません。 寂しさやつらさが心の中でましてきました。なにげなく新聞を手に取り眺めていますが、 目で見る事ができなく つらかった事をおもいだします。テレビを見ても音だけがやかましく、映像を見る事ができませんので、テレビを見てもおもしろみがまったくありませんでした。食事にしてもにおいや味を取り戻しましたが、物を目で見ておいしさや食欲がわきます。 料理された野菜の緑や にんじんの赤色など、 目で物を見る事もできませんし、 それらもつらく寂しかったです。
また、 約2ヶ月の病院生活、ベットに寝たままの生活でしたので、家に帰ってから、ベットから布団の生活になるわけですが、畳にしいたふとんから起きあがろうとするとなかなかおきあがれません。 立ち上がったら貧血でふらつきもありました。布団から起きあがれなかった事、筋肉がそうとう無くなったのだなと思いました。ろうかを歩く、ろうかから和室にはいる、ちょっとした段差や壁のちょっとしたでっぱりにも 足を強く打ったりつまずいたりしました。うちは道路から家のげんかんに行くまでに階段がわりとおおいです。 すこし高井所に家があります。和式の家ですので、 バリアフリーな建物ではないです。 これはちょっと大変だなと思いましたが、 日常生活 毎日おな事故とを繰り返す事により 慣れができ、体が覚えてくれました。最初なれるのに大変時間がかかりましたが、 自然に体が家の環境を覚えてくれるようになりました。階段を踏み外した事もなんどかありました。
また、 しゃがんだ所に、顔の顔面に物がおいてあり、 顔を強くうったり とくに目をつよく打つ事もなんどかありましたが、 危険だなと思う物はよけておいてもらったり取り除いてもらいました。つずく
_ 松江スティックビルの視覚障害者向けバリアフリー化
おとなりの日記 田中さんの日記をご紹介します。
田中隆一のてくてくラジオ日記(2005-12-08)http://blog.project-ui.com/tanaka/20051208.html#p01
松江市白潟本町のスティックビル改装にあわせて、てくてくラジオが採用になり、設置作業を進められました。このたび、晴れて設置完了、運用のスタートだそうです。ラジオは、2階の事務室受付で無料で貸しだしておられるそうですが、自分のラジオをお持ちの方は、1620khzに周波数をあわせてください。
1、2階には歩行誘導マット「歩導くん」が設置されており、マットをたどりながら、ラジオを聞いていると、場所場所の案内が聞こえます。 トイレについては、洗面の位置、小便器、大便器の位置や、洗浄レバーの位置、ペーパーの位置なども案内しますので、かなり役に立つと思います。 また、エレベーターと、トイレには、小音発信器「ひよこ」も設置されており、「ぴっぴっ」という音が鳴り続けています。こちらはラジオを持っているいないに関わらず、方向を把握するのに役立ちます。 2つの玄関前には誘導チャイムが設置されましたし、エレベーターのボタンには、点字シールがはられました。
ひよこは ちいさな音の 誘導鈴です。ひよこの声「ぴっぴっぴっ」と 音と音の間をあけて小鳥の声で聞こえます。ドアの入り口など たいへんべんりです。
田中さんの日記に詳細が書いてあります。としまるでした
_ イチローぱちり
としまるです。 寒波がきて寒さが厳しくなりましたが、 今日はすこし暖かく 暖かく感じました。今日は 午前中午後12時30分まで 広瀬小学校さんへイチロー君とおじゃましてきました。車の流れもわりとスムーズで 少し早くおじゃましました。広瀬小学校3年生のみなさん ありがとうございました。
先日の写真になりますが車にのせてもらった時に 携帯で写真を撮っていただきました。下記に1枚の写真を載せます。イチロー君と一緒に車のシートに座っている写真です。
としまるでした