2005-12-30 「共に生きる」14
_ 「共に生きる」14
今から17年前の出来事を書いています。失明し 病院を退院したのが 昭和63年の11月1日でした。「前回のno13では ライトハウスライブラリにて 島根県視覚障害者福祉協会 青年部主催の 中途失明者の方を対象とした3泊4日の宿泊しての日常生活訓練を受けた事を書きました。
訓練に参加して視覚障害者の事について 目の見えない事とそれを補うための便利な用具について少しずつ理解をし勉強しました。
まずは、点字が有ると言う事。 点字は手で触ってもなかなか解りませんでした。新聞を手に取っても目で見る事ができなく、本を手に取っても読む事ができなく、やはり何らかの方法で情報を得たいわけですから、点字の勉強をはじめました。点字は6つの点で文字を表しますが、最初はいくら触っていても点字のぶつぶつを手で触ってみても認識もできませんでした。あいうえお かきくけこ さしすせそと 声をだしながら読みますが、 手で触っても文字としての点字の一つ一つのつぶつぶを触っても 紙のでこぼこさえも解らなかったのですが、 床をこすり コンクリートの壁を触り、 コンクリートのかべの砂粒一つ一つのごつごつが解るようになってきてから、一語一語ずつではありますが 点字が解るようになってきました。 その時がいちばん嬉しかった事を覚えています。点字が読め 嬉しくて涙もでました。 希望も目覚めてきました。
点字に触って 10日くらいたった時の出来事だったと思います。同じ事を毎日繰り返し、平成に入って1月頃には 片言ずつでは有りますが点字が読める要になってきました。
失明してからの生活で妻の家事がおわってから新聞を読んでもらったり外に出かける時は手引きを受けて 「手引きについては6月から7月8月ごろの日記に詳細を書いています。」手引きを受けて外にでかける事も多くなりました。家の中でも物にぶつかったりちょっとした段差に足を強くうったりつまずいたりした事も有りましたが、すこしずつ慣れです。頭の中に地図が形成されてゆき、家の中では物にぶつかったりつまずいたりする事も少なくなりました。
がさて、 昭和63年の12月 大晦日の日の出来事です。妻は大晦日の大掃除に追われています。 当時幼稚園年長組と年少組の娘と息子に、天気も良いので散歩にでかけようと提案しました。どこに行こうか。 雑賀の幼稚園で遊ぼうと言う事となりました。子供たちに両手を引っ張られ ぎこちなしでは有りますが、 手を引っ張られ 気持ちはおそるおそる出かけました。子供たちに頼った事は初めての事です! おそるおそる街を歩きます。 無事、幼稚園の園庭につきました。 天気も良く暖かかったのですが少しずつ風もでて雲がさしてきました。子供たちは 離れたところで遊んでいる声が聞こえます。 ちょっと大きな子供さんもこられ なにやら楽しそうな遊びをはじめられました。が、 雪がちらつき気温も下がってきました。 遊んでいる子供は体を使って遊んでいますので寒さはそんなに感じないと思いますが、階段の段差に座っている私には動きは無いですので 寒さがもろに体にかんじてきました。 雪もちらついていますし 「早く帰ろう!」と 私は大きな声で叫ぶのですが、 すでに2時間ちかくたっています。 体も寒さで震えてきました。「早く帰ろう!」と叫んでも声が聞こえません。 はんたいの角の方へむかい 向かって雪 {白杖もまだ買っていなく一人で歩くのは危険だと思いましたが、声のする方へおそるおそる 前を足で確認しながら1歩ずつ歩いてゆきました。
「早く帰ろうよ 体が冷えてきたよ。」子供「もうちょっとまっちょって!今楽しいとこだけん!」父親 「そんなこと言うなや! 体が冷えてきたけん早くかえろうや!」幼稚園の校庭で3時間いましたが、 夕方になり冷え込みも厳しくしまいには怒り声になっていました。
目の見えない事や 一人では歩いて家へも帰れない事も含めて心の中では なさけなく思いました。 くやしさやつらさ目の見えない事は大変な事です。 つくずく目の見えない事は大変な事だなと実感しました。毎日が実感しながらの生活の、昭和63年の 11月12月でした。つずく