2006-01-06 「共に生きる」15
_ 「共に生きる」15
前回昭和63年の12月 31日大晦日の日の出来事を書きました。一人で家に帰る事のできない事について、 つらさや苦しさ、 悔しさがありました。また、病院を退院してから、 家族が外に出かける時に付いて出るようにしましたが、 大型店などの買い物についてゆきました。 手引きを受けて歩くわけですが、 視覚を失い 音を中心に耳で得る情報につきまして、 たくさんの人が話し合う声、 店内から流れる音楽や声など とても騒々しく感じました。騒音や騒々しい音声を聞いていると なぜか その場からにげて 静かな所へ行きたい気持ちになりました。
大型店などで子供の用品を購入の為、時間もかかるので、一人でベンチに座って待ちます。騒音になれていない事や、一人では不安な事も有り、いらいらしたり神経質になってきたりしました。また、まつ時間がとても長く感じてきます。途中トイレもしたくなったりします。 トイレに行きたい我慢との戦いもありました。一人でトイレにゆけない つらさや悔しさとか、 失明した当初目がみえなくなり、 人が目から得る情報、視覚から得る情報が生きていくうえで一番大切だと 思いますし、そんなつらさや苦しさを 心の中に思いながら 毎日を過ごし考えていたと思います。
、年号も昭和から平静に変わりました。 家の中での生活は少しずつ場所や配置されている物などの場所も少しずつ解るようになってきましたが、外に出るのは好きですが、 一人では外に出れない事、第3者の手引きを受けてでないと街に出れない事など、 含めて 目の見えない事について つくづく考えさせられる時代だったと思います。大型店などにでかけると 騒音のすごさに、人の多く集まる所へ出かけるのがあまり好きではなくなりました。つずく
私は生まれつきの視覚障害者ですが昭和55年11月15日までは弱視でした。病気で一晩で光を失いました。弱視であっても「見える」と言う事がいかに便利であったかを思い知らされました。
山本さん おせわになります。 目がみえてた頃は視覚にたよって生活していました。 本を読むにしてもテレビを見るにしても 車の運転や街を歩くにしても、すべての生活は物を見ての生活でした。
目がみえなくなって めのみえる事のありがたさをつくずく感じました。
目が見えなくなって一人でできない事も多く はらだたしさ悔しさ つらさなどたくさん思いましたし、 日記をみてくださる皆様に 視覚の大切さも解ってほしいなとおもっています。
書き込みありがとうございました。